2007年大遊協青年部会定時総会における、石橋保彦氏(平和社長:当時)の講演内容紹介-【前編】

今回は、知人から資料提供して頂いたものを紹介させて頂きます。

 

はじめに

今回紹介させて頂くのは、2007年(平成19年)に、大阪府遊技業協同組合が発行した『大遊協スクエア』7月号に掲載されたという記事です。

 

その記事は、同組合の青年部会定時総会の場において、当時の株式会社平和の代表取締役社長 石橋保彦氏が講演した内容を書き出したものであり、一読してぱちんこ業界の色んな物事に思いを致すきっかけになるような、非常に示唆深い内容でした。

 

記事自体がたいへんな長文であり、また内容の一部は今の感覚からすると時代がかけ離れているためイメージする事自体が困難であったり、その時代ならではの事情やアウトローな表現も含まれているため、これを敢えて、平日のお昼休みの時間に閲覧して下さる読者が多いこのようなブログでお目通し頂くという事に、躊躇も致しました。

 

しかし、

 

「どのように考えるかは、全て読者、特に若手業界人の皆さんに、委ねてみよう」

 

と思い、この機会に、全文を紹介させて頂く事にしました。

 

以下、かなりの長文ですので、勝手ながら私の観点で、全文を【前編】【中編】【後編】の3つに分けて個別の記事にして紹介致します。

 

それでは、まずは【前編】をご覧下さい。

※改行以外は、提供して頂いた資料のままです

 

石橋氏の講演内容

「ぱちんこ業界の過去・現在・未来」

 

平和の石橋でございます。

 

どうぞ宜しくお願い致します。

 

今日の演題は私から見たパチンコ業界の過去・現在・未来を語ろうと思います。

 

今までいろいろな本に業界の歴史が書かれておりますが、今日は一寸切り口を変えてお話ししようと思います。

 

業界では、私の事を「カリスマ機械屋」とか「最後の機械屋」と言っているようですが、私もありがたいあだ名をもらったと思って、その気になって頑張っております。

 

私は現在、日本遊技機工業組合の副理事長、同組合の機械対策委員長、日本遊技機関連事業協会の理事、先ごろまではセキュリティ対策委員会の副委員長もしておりました。

 

さらに皆さんご案内のように、遊技産業健全化推進機構(これは業界にとって不名誉な名前で健全化しなければ生き残れない業界では仕方がないという意味から、いつかはこの名前を良い意味で変えたいと思っていますが)の理事もしております。

 

六月二十日からは社会安全研究財団の理事にも就任する予定で、どちらかといえば平和の社長というよりも業界全体の業務をこなしている日々であります。

 

平和の歴史は、創業が昭和二十四年(一九四九)、今から五十八年前。

 

私は平和が創業して十七年目に入社致しました。

 

昭和四十一年(一九六六)四月のことです。

 

確か三共さんの設立が全く同じ昭和四十一年の四月です。

 

それだけ古いのです。

 

まず私の業界においての古さを強調しました。

 

その時代がどれだけ古いかといえば、パチンコの島は現在の島ではございません。

 

中に人がいて補給装置もありません。

 

玉を上げてくれ、下げてくれの時代です。

 

従業員にはハッキリ言ってなり手がなかった。

 

入れ墨をした者や刑務所帰りの人も多かったのです。

 

当時は寮と賄いがほとんどの店にありました。

 

一目見てそれらしいと分かる人が「勤めたい」と店に来ます。

 

「では明日からお願いします。今日はご飯でも食べてゆっくり休んでください」と言います。

 

そうして翌朝にはもういないんですね。

 

あるいは給料日の翌日にはよくいなくなりましたから、お給料日が怖かった。

 

つまり雨露がしのげて飯が食えれば、程度の人が多かった。

 

一番困ったのが賞与を出すとき。

 

ハッキリ言って出して良いものかどうか悩みました。

 

賞与を出すと半分ほどがそっくりいなくなってしまう。

 

そういう時代でした。

 

あのころのパチンコ屋さんはお金持ちで、ベンツに乗っている方も多かったのです。

 

ベンツを初めて買って、その中で寝たという経営者を何人も知っています。

 

やはりステイタス。

 

パチンコ屋さんの胴が太いことを見せたい一つのポーズでもあります。

 

胴が太い、出すから来いという雰囲気だったと思います。

 

昔のパチンコ屋さんは、まず入替が年に盆と正月の二回。

 

あるいはゴールデンウィーク前とで三回。

 

それが四回になって、今では四六時中入替です。

 

台数もエリアにより自主規制があり、皆さん話し合って一生懸命うまく業を営んでいた時代。

 

入替はエリアの一番弱い店からというのがセオリーでした。

 

なぜかと言えば、ある一定の客入りを割ると、いくら割数を絞っても利益が上がらなくなるからです。

 

パチンコは入替で喚起します。

 

ここに一つのラインがあるとします。

 

まず最初の店が電気代も稼げないとしびれを切らして入替をしてこのラインより上がってきます。

 

そうすると二番目の店が落ちます。

 

そして入替て地域が沸く。

 

そうすると一番の店が落ちます。

 

落ちるといってもラインまで落ちていないのに入替て、また一番の座に付く。

 

何回入替ても同じ状態を繰り返していたのがあのころの入替で、強い店は最後に入替ていたのです。

 

今はどうでしょうか。

 

強い店が最後に入替ているでしょうか。

 

今は真っ先に持って来いと強い店が言っているように聞こえます。

 

もしかしたら日本に強いパチンコ店がなくなってしまったのではないかと不安を持っています。

 

当時の平和は全社員を集めて全国で八十人でした。

 

現在は先だってのオリンピアとの統合により千七百人おります。

 

昔の給料ですが、「一万三千八百円。たまにゃ一杯飲めるじゃないか」と歌がありました。

 

昭和三十年の初任給は一万三千八百円だったのです。

 

私が入社した四十一年には一般的に二万五千円まで上がっていました。

 

ところがメーカーの社員は安かった。

 

なぜかと言うと、学校では士農工商と教えていましたが、私はパチンコ業界に入って初めて士農工商の次にパチンコ機械屋という職群があるのを知りました。

 

だから安い。

 

メチャメチャ安い。

 

一万五千円です。

 

だけど我々には役得がありました。

 

どこのお店も良くやってくれたと言ってご祝儀をくれました。

 

これはありがたかった。

 

良い時代でした。

 

当時の機械には二種類がありました。

 

有人機、人がいるから有人機です。

 

人が玉を載せたり下ろしたり、まだ還元機が付いていない時代。

 

還元機付きの機械も有人機と言いました。

 

一台七千円です。

 

無人機もありました。

 

西陣さんが一番シェアを持っており、この機械で一万円です。

 

そうすると一般的に初任給が二万五千円の時代に機械代が七千円から一万円。

 

初任給よりは安かったのです。

 

今、皆さんは機械代が高いとおっしゃいますが、その通りです。

 

高いです。

 

現在大卒の初任給が二十万円くらい。

 

パチンコのゲージ盤で二十万円から二十五万円くらい。

 

本体なら二十五万円から三十万円。

 

パチスロは液晶を使わなければ二十万円、使えば四十万円くらいでしょう。

 

確かに初任給と比べ当時より高いです。

 

昭和四十六年、今から三十六年前、平和は業界初の分離式パチンコを作りました。

 

毎回本体ごと買わされていたら大変です。

 

やはりあのころも機械代が高かったから、中島ファウンダー名誉会長(脚注1)が分離式を考案し、今では全メーカー分離式です。

 

パチスロもオリンピアと平和が分離式です。

 

いずれ全メーカーが分離式になるのではないでしょうか。

 

次に業界が大きく変わったのは昭和五十五年(一九八〇)、今から二十七年前です。

 

三共さんが新潟県長岡市の白鳥というお店で一発えらいことをやってくれました。

 

「フィーバー」です。

 

ここからパチンコが変わりました。

 

貸玉料金はその昔一円でした。

 

それが昭和二十四年に二円になり、昭和五十二年に四円に改定されるのですが、私が業界に入ったチューリップ時代の売上を見ても、良い店で一台あたり三千円というのが相場でした。

 

それが等価交換とかいろいろな条件もあるでしょうが、今や一台当たり数万円からあるいはそれ以上の売上を上げるお店もある訳ですから業界も大きく変わりましたね。

 

メーカー同士も競争があり、うちも負けじと「ブラボー」を出しました。

 

売れましたよ。

 

すごかったです。

 

翌年にはハネモノ「ゼロタイガー」も出しました。

 

そして六十三年(一九八八)八月八日、この日に業界で初めて、当時は店頭登録と言いましたが、株式公開を致しました。

 

中島ファウンダー名誉会長がパルパル(パチパチ)と自分の生涯の中で一番「八」の多い日を選んで、執念を持って行ったのです。(脚注2)

 

これはすごいことだと思いました。

 

あれから十九年です。

 

機械代が高くなったのは液晶の登場と言うこともあったかもしれません。

 

平成三年(一九九一)今から十六年前、カラー液晶で「麻雀物語」を出しました。

 

当時三・三インチですが、カラー液晶の登場。

 

ここから今の全面液晶まで時代は流れてくるのですが、とにかく液晶を搭載したことで価格が上がってきました。

 

三・三インチからどんどん大きくなり、私どもは今二十インチを持っていますが、こうした時代の変遷がございます。

 

携帯電話、ドアホーン、カーナビ、テレビゲームの時代に、機械代が高いからといって、パチンコ機を液晶レスにすることは無理だと思いますが(特にセブン機系)メカ式やその他の電気式役物の開発も進んでおりますので、機械代を下げるという意味においてもご期待ください。

 

平成六年(一九九四)にCRが登場しました。

 

そのころ我々の業界は、なんちゃってバージョンは遊び心という認識でいました。

 

そんな時代に「黄門ちゃま」を作りました。

 

ハッキリ言って水戸黄門のパクリです。

 

自分で作ったのだから良いと思っていたら、裁判で訴えられてしまいました。

 

最後は和解してもらいましたが、和解の内容は水戸のご老公と助さん、格さんは歴史上の人物ですから良いのですが、風車の弥七、お銀、うっかり八兵衛は創作の権利があることで使えなくなりました。

 

次からは版権料を払うことになり、ここで版権料が登場してまた機械代が上がってしまいました。

 

次にキャラクターの走りはいつだったのか。

 

黄門ちゃまもわずかなきっかけですが、正式なスタートは平成十年です。

 

意外や意外「ルパン三世」なのです。

 

ここから本格的にキャラクターがこの業界へ入ってきました。

 

機械代が高くなった要因を話していますが、今やコストダウンを図る必要があります。

 

何が高いかと言えば液晶です。

 

ライフサイクルが短いのに高いと私も思います。

 

そこで三十六年前の分離式になるような発想で考えたのがSS(脚注3)なのです。

 

まだSSはそんなに普及していません。

 

しかし必ず近い将来全メーカーが液晶を本体に付ける日が来ると信じています。

 

付けて欲しい、そう願っています。

 

とにかく、トータルコストを下げないと機械代が上がっていきます。

 

行政も機械代を下げるように言っています。

 

とにかく液晶を本体に取り付ける方式が許可になった以上はやるべきだと思っています。

 

ここから現在の話です。

 

現在、業界は大変なことになっています。

 

この業界は世間の経済の動きから少し遅れてくるようになっています。

 

バブルの絶頂期パチンコが良かったか?

 

それは良かったでしょうが、バブルがはじけたころが一番良かったのです。

 

そして今やミニバブルと言われています。

 

世間は景気が良くなっていますが、パチンコ業界は下がっています。

 

しかし、必ずまた上がってきます。

 

パチンコ業界の浮き沈みを過去何度も経験していますからご心配要りません。

 

業界最大手のマルハンさんが情報公開している資料を見せて頂きました。

 

十九年三月期の売上高が一兆八千億円、営業利益が三百二十億円です。

 

ところが来年の売上予想は一兆九千億円が、営業利益は十五%落ちるとしています。

 

残念な話ですがしばらくの間はこの厳しさに耐えなければなりません。

 

業界を育てて来てくれた古くからの経営者の方々が残念なことにかなり姿を消しています。

 

お客さんの環境が苦しいことはよく存じ上げています。

 

実は私どもも三店舗の遊技場を経営しております。

 

一店舗は利益がありますが一店舗は手ばたき(脚注4)で、一店舗は赤字です。

 

トータルで平均すると手ばたき状態です。

 

これを拡大解釈すると、業界全体の三分の一はまだまだ十分健全に儲かっています。

 

三分の一は手ばたきかも知れません。

 

しかし、三分の一はもう赤字になっている可能性が高いのです。

 

あくまでうちの店を見た上での私の勝手な推測になりますが…。

__________

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ここまでで【前編】とします。

 

明日以降、【中編】、【後編】と続きます。

 

__________

・脚注1:「中島ファウンダー名誉会長」

平和創業者である中島健吉氏(1921生~2012没)

ファウンダー(founder)=「創業者」「設立者 」の意

 

・脚注2:「パル」=韓国語における8の読み

팔=八、pal、パル 

 

・脚注3:「SS」=Super Screen & Super Sound

アクリルの採用により遊技盤面を多層構造化する事で、従来はゲージ盤と一体化していた液晶を、ゲージ盤から切り離して遊技枠側に残す事が出来る製造方式の事

 

・脚注4:「手ばたき」

て‐ばたき【手拍き】

①左右の手のひらを打ち合わせて鳴らすこと。拍手。

②所持するものを消費して空手となること。

参照:広辞苑

 

 

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2019年7月26日公開

6 comments on “2007年大遊協青年部会定時総会における、石橋保彦氏(平和社長:当時)の講演内容紹介-【前編】

  1. Pingback: 2007年大遊協青年部会定時総会における、石橋保彦氏(平和社長:当時)の講演内容紹介-【中編】 | パチンコ屋の裏話 現役店長楽太郎のお部屋

  2. ゴンザレス

    2007年7月ということは

    2007年末のサブプライムローン前であり、当然2008年のリーマンショック前ですね。

    その前後に慶次やら牙狼やら北斗やらMAX機の代表格が出たことを考えると(北斗はちょっと怪しいですが)、奥が深いような深くないような(´・ω・)

    Reply
  3. Pingback: 2007年大遊協青年部会定時総会における、石橋保彦氏(平和社長:当時)の講演内容紹介-【後編】 | パチンコ屋の裏話 現役店長楽太郎のお部屋

  4. ニューマン

    ゼロタイガーは、平和でしたか。
    非常に懐かしく当時を思い出し記事を読んでおりました。
    確かに、昔は定量性であった為、フィーバー台ですら出だしの頃は一回大当たりの度に客が入れ替わって遊んだのが忘れてましたが、この記事で思い出しました。

    ところで、最近は家で禁煙なこともあり、必ず家の手前のパチ屋さんに寄り(吸い溜?w)、缶コーヒーを買って、他人さんが座る台を眺め、1パチだろうと4パチだろうと約1分間に100発(100円or400円)の打ち出しとゲット数を差し引きし、なんぼの損得を計算しております。

    たまに、遊ぶこともありまが、退店前にサンドに会員カードを通し来店ポイントを上げて帰る・・このパターンがすっかり定着したこの頃です。

    Reply
  5. Pingback: 【新機種情報】S南国おだち-導入日/スペック/設定判別/解析 | パチンコ屋の裏話 現役店長楽太郎のお部屋

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